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Wien留学時代の初日は散々でした。
でも、そのお陰で度胸がついて、どんどん積極的に現地の人と関わりを持って
馴染んでいけたのだと思います。今となっては良い思いで(*^_^*)

Wienの住居は、日本の語学学校で知り合った子が声楽の留学で一足先にWienに住んでいたので、
住居が見つかるまでは彼女のところに居候させてもらうことに決まっていました。

空港に着いたのは確か夜の10時近く。
荷物を受け取って足早にタクシーで友人の住むアパートへ向かいました。

ここで一つ、問題があったのでした。
彼女は声楽の合宿でSalzburg(ザルツブルグ)へ行っていて留守中でしたので、
アパートの部屋の鍵を大家さんに預けておく、ということになっていました。
が、日本でもドイツ語は勉強していたので、難無くクリアできるだろうと思っていざアパートへ。

日本と違ってオーストリアの集合住宅の多くは、アパートの敷地に入るための扉、
自分の部屋に入るための扉、と二重扉になっていて、
それぞれ鍵を使わなければ入れないようになっています。

幸いアパートの前に着いたら、そこの住人が外の扉を鍵を開けて入るところだったので、
私も後ろから付いて一緒に入りました。
大きなトランクをズルズルと引きずりながら中庭を抜けて建物の中へ。

自分が住むことになる部屋の前にトランクを置き、
友人から聞いていた大家さんの部屋の前に行き呼び鈴を鳴らす。

が、何度呼び鈴を鳴らすとも一向に出てきてくれない。
ドアをドンドンとノックしても全く反応なし。

30分は大家さんの部屋の前で呼び続けていただろうか。
もう夜の11時をまわっている。
いないのかな。私が今日来ること聞いてないのかな。朝までここにいなくちゃいけないの???

困り果てて、向かいの部屋の呼び鈴をならしました。
事情を話したら、大家さんはいるはずだから、と言って一緒に呼び鈴を鳴らしてくれましたが、
応答無し。

そしたら・・・警察に行って事情を話しなさい、と。
え~~~~~~~~~~~!!!
こんな見知らぬ町で、夜中に女の子(その当時は)がウロチョロしていたら
どんな危険に巻き込まれるかわかったものじゃない・・・
と思ったが、それより方法がないと思い、恐る恐る再び町へ。

もう怖くて怖くて半分泣きが入ってました。
やっとのことで警察に着いて事情を話すと、警官が一緒に来てくれるとのこと。

警官と一緒にアパートに戻りますが、当然、外の扉が閉まっているので入れません。
すると警官はアトランダムに住人の呼び鈴を鳴らし、
「警察だ。外の門のロックを解除しなさい」と言って開けさせて、中に入れました。

大家さんの部屋の前に行き呼び鈴を鳴らしても応答がないと、
ドアが壊れんかと思うばかりの力でドンドンと叩き、「警察だ。ドアを開けなさい」を連呼。

こ、これって、ちょっとまずくない!?と隣で冷汗をかいている私にお構いなく。
大家さんよりも近所の住人の方が何事かと、次々に出てくる。。。
そして10分くらいたったころだろうか、やっと大家さんが寝ぼけ眼でドアを開けた。

警官は事情を説明するとさっさと帰って行きました。
唖然としてしまい「Danke!」と言うのが精一杯でした。

が、その後が問題。大家さんは頭から湯気を出さんがばかりに激怒、
「何で警察なんか呼んだんだ~!!!」と。
一連のことを説明して何とかわかってくれたけれど。はあ。

鍵を受け取って部屋に入ったとたん、緊張の糸が切れて大声を上げて号泣。
30分は泣いてそのあと呆然としていたと思います。

はっとわれに返って時計を見たら、夜中の2時を過ぎていました。
両親にWienに着いたら電話すると言っていたので、慌てて電話をかける。

が、何度かけてもつながらず、早口のドイツ語で何やらアナウンスが流れるだけ。
もうクタクタになっていたので、いつの間にかそのまま眠ってしまいました。

目が覚めたのは朝の8時過ぎ。
もう一度日本への電話を試みてみるがやはり通じない。
が、よ~く流れるアナウンスに耳を傾けると、どうやら日本への電話のかけ方が変わったようでした。
夕べはもうクタクタで気力・体力を使い果たしていたので、アナウンスが聞き取れなかったようでした。

日本に電話をかけると、よほど心配していたのでしょう。
ワンコール鳴るか鳴らないかのうちに母が受話器を取りました(笑)

こうしてWien留学初日が明けたのでありました・・・

これだけのことがあれば度胸もつきますよね。
お陰でその後の異郷での生活には難なく馴染んでいくことが出来たのでした。

今、主人がアメリカに単身赴任中ですが、
よく人に「遊びに行けばいいじゃない」って言われますが、全くその気がありません。
私は英語はほとんど出来ないからです。
そしてwien初日のこの経験があるからです。
もし、ほとんどドイツ語が出来ないままwien初日に
この体験をしていたらいったいどうなっていたことでしょう。
そう考えると、言葉がわからない土地で何かが起こったときの事を考えると、
とてもとても英語圏には行く気になれないのです(笑)

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幼稚園児の頃から漠然と、
「大きくなったらウィーンに住む」
と決めていた。何の根拠もなく。

「カルピス子供劇場」のCMで、
ウィーン少年合唱団がアウガルテン宮殿の
赤い絨毯が敷かれたらせん階段で歌う姿を見て、
「あの赤い絨毯の階段を登るんだ」と。
その頃は特にウィーン少年合唱団のファンでもなかったのに、
そう心に誓ったのは5歳か6歳の頃だったと思う。

次に具体的にウィーンを意識したのは
小学校4年生のとき。(2年生だったかも)

母が持っていたウィーンフィルによる
Johann StraussⅡのウィンナー・ワルツ集を聴いた時、
懐かしさ(?)で背中がゾクゾクして、
「やっぱりウィーンに行かなくちゃ」って思った。
Bachが好きなのに、何故かStraussにビビビと(笑)

が、成長と共に興味の範囲が広がり、
いつしかウィーンのことは忘れていた。
まあ、時々テレビなどでウィーンのことをやっていると
目をやったりしていたが。

昔は今と違って、英語は中学に入って初めて習う子供がほとんど。
中一になって初めての英語の授業。
『これで英語が読めるようになるんだ~!』と期待いっぱいで迎えた。
が、初授業どころかいつまでたっても“発音の法則”を教えてもらうこともなく、
英語は一単語ずつ発音を覚えるもの、と気づいたのは一学期も半ば。
『私のやりたい言語はこんなんじゃない』っていつもフラストレーションでいっぱいだった。
じゃあ、どんな言語がやりたいの?と言われても“これ!”と言えるものはなく、
ただ、読み方の法則があって、たとえ意味がわからなくても読める言語を求めていたようだ。

高校生の頃、竹宮恵子さんの『風と木の歌』を読んで、
今まで知らなかった世界を知って、そこからフランスに興味を持つように。

大学で第二外国語を選択するときに迷わずフランス語を選択。
が、すぐに後悔することに。
一応、法則もどきはあれど、あまりにも例外が多すぎるフランス語は私には合わなかった。

20歳の時に、友達にウィーン少年合唱団のコンサートに誘われた。
美しいボーイソプラノは嫌いじゃないし、まっ、行ってもいいか・・・
という軽い気持ちでコンサートに行き、これまで生きてきた中で一番の感激に浸った。
追加コンサートのチケットを買って、その後何度か聴きに。
最後には合唱団を空港までお見送り、なんてミーハーなことまで。

幼稚園の頃に何の根拠もないままに誓ったことが思い出され、
はっきりと「ウィーンに住んでみよう!」と決意。

まずは言葉、と思って初めて見たNHKテレビのドイツ語講座で再び感動。
『私が求めていたのはこの言葉かも』との確信を胸に、
本屋さんで初めてのドイツ語の参考書を購入。

ドイツ語の規則正しい法則に、『これだ!やっと見つけた!』と
涙が出るほど嬉しかった。

それからは大学の専攻の科目よりドイツ語の勉強に熱が入り、
語学学校にも通い、就職してからはひたすら貯金、貯金。

そうして、大学を卒業して3年がたった頃、
やっとウィーン行きのめどがついたのでした・・・

次回はウィーン留学時代のことを、
不定期で書いていきたいと思います。

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